高安古墳群(たかやすこふんぐん)「高安千塚古墳群」 / Takayasukofungun

高安古墳群(たかやすこふんぐん)は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に分布する古墳群。「高安千塚古墳群」の名称で国の史跡に指定されています。八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基以上の古墳群が現存しており、(2016年11月時点では224基)その多さからこのあたりを「千塚」と呼ぶようになりました。 古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて造られ、大正時代の調査で、かつては600基ほどあったとみられています。 その多くが、横穴式石室を持った直径10~20メートルほどの小さな円墳で、高安山の中腹、標高50~300メートルあたりに多く分布しています。 大抵の場合、南側に開口しています。 このあたりでは4, 5世紀の古墳時代前・中期にかけては巨大な権力を持ったごく少数の人物が巨大な前方後円墳を造りました。しかし古墳時代後期には権力が分散し、財力のある小豪族がこのあたりに勢力を伸ばし、小規模な円墳を造るようになり、多くの墳墓が集中するようになったと考えられています。具体的な被葬者については詳細不明です。 明治時代初期に モースが開山塚古墳などを調査・スケッチをして、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介しています。 また、W・ゴーランドが二室塚古墳の写真撮影を試み、1897年(明治30年)に論文で「双室ドルメン」として発表していることが後の研究で判っています。 なお、坪井正五郎1888年(明治21年)に「古墳・塚穴、ドルメン同源説」という論文を発表しています。

 

「高安千塚古墳群」の国史跡指定:平成27年3月10日付けで告示

 [文部科学省告示第38号]。

 

 

「高安千塚古墳群」の重要性について

 

【歴史的重要性】

 

1) 200基以上の横穴式石室が良好に残る近畿地方最大級の古墳群。

   (2016年11月時点では224基)

2) 日本の古代国家のなりたちを考える上で重要な古墳群。

   ・河内から大和への要所であったと考えられる。

   ・大型で精巧な造りの石室がありヤマト政権との強い繋がりが考えられる。

 

【歴史的景観の重要性】

 

3)   高安山の豊かな自然の中で古墳が広がる歴史的な景観。

 

【考古学史上の重要性】

 

4)  江戸時代から知られており、明治には海外へ紹介されている。

 

 

「高安千塚古墳群」の分布状況

 

 

1)大窪・山畑支群

2)服部川支群

3)郡川北支群

4)郡川南支群

 

 

1)大窪・山畑支群

 

「八尾ドルメン」

(正式名:大窪・山畑36号墳)/ Yao dolmen tumulus

 

全国的に有名な大阪府八尾市の高安古墳群の中で「八尾ドルメン」(又は「河内ドルメン」)と呼ばれる古墳です。墳丘の盛土が失われ、石室が完全に露出した状態になっています。この「ドルメン」と言う言葉の意味ですが、これは支石墓(しせきぼ)のことで、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種のことです。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとります。

 

場所:八尾市農免道の神立2丁目付近
アクセス:近鉄服部川」駅から徒歩約30分

 

This ancient tomb is called "Yao Dolmen" (or "Kawachi dolmen") in nationally famous Takayasu tombs of Yao City in Osaka, Japan. This ancient's stone chamber has been completely exposed after embankment of the mound was lost.

 

Place : Near the road which is called Noumendou in Kodachi, Yao city, Osaka.
Access : 30-minute walk from Hattorigawa station of Kintetsu Line.

 

 

 

 

      

      

      

      

      

(2016年11月撮影)

 

 

「俊徳丸鏡塚古墳」(大窪・山畑27号墳)

 

古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室の古墳ですが、当地が謡曲弱法師(よろほうし)、浄瑠璃摂州合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)で名高い俊徳丸の故地とされていることから、俊徳丸の墓とされてきたようです。 この古墳には、こういったいわれから、明治から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者が寄進したさまざまな石造物【実川延若(じつかわえんじゃく)寄進の焼香台・七代目松本幸四郎寄進の手水鉢・六代目尾上菊五郎寄進の灯籠の石】があります。 

 

場所:八尾市服部川8丁目
アクセス:「服部川」駅から徒歩約8分

 

Shuntokumarukagamizuka ancient tomb is horizontal stone chamber type whcih is constructed in sixth century. As it is said that Shuntokumaru who is famous for Joruri owned the ground, Shuntokumarukagamizuka has been regarded as his tomb. 
From this story, there are many stoneworks that kabuki actors, who succeeded between Meiji and Showa period,contoributed to this ancient tomb. The stonewaorks are a stand for burning incense, a waterbasin and a stone lantern.

 

Address : 8-chome, Hattorigawa, Yao city, Osaka
Access :  8-minute walk from Hattorigawa station of Kintetsu Line.

 

 

 

 

 

       

       

       

       

 

「抜塚(ぬけづか)」大窪・山畑7号墳

 

浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳(よこあなしきせきしつ)です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚(ぬけづか)ともよばれています。現在、残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。羨道の長さは8m、高さは2.2mあります。本来はこの部分の北側、本堂寄りに、玄室といわれる棺(ひつぎ)を納めた部屋がありました。玄室は、長さ5~6m、幅3m前後と推定され、石室の本来の長さは、13~14m前後になると想定でき、高安古墳群中で最大級の石室の1つであったと考えられます。現在、「抜塚」は国史跡になっています。

 

住所:大阪府八尾市大字大窪35
アクセス:近鉄服部川」駅から徒歩約20分

 

Ookubo/Yakatake No.7 ancient tomb : This ancient tomb is horizontal stone chamber 
style which is located at the south side of graveyard of Raiko-ji (temple). It is also 
called "Nukezuka" because its shape is like a tunnel that people can go through. 
The remaining part is a passage of stone chamber, which is called, "sendo".

 

Addess : 35, Oazaokubo, Yao city, Osaka
Access : 20-minute walk form Hattorigawa station of Kintetsu Line.

 

 

 

 

        

        

        

       

       

       

       

       

 

2)服部川支群

 

「二室塚古墳」(服部川25号墳 他7号墳)

 

二室塚古墳(にしつづかこふん)は、300基近い古墳からなる高安古墳群の服部川に所在する、6世紀後半頃に造られた横穴式石室墳です。石室の構造は、右片袖式(みぎかたそでしき)の玄室を2つ連結したもので、全国的に類例のないものです。複数の石室を有する複室構造(ふくしきこうぞう)といわれる石室は、九州を中心に分布していますが、二室塚古墳の石室はこれと異なり、畿内で典型的にみられる片袖式石室を連結した構造で、このような石室は、同じ高安古墳群の郡川にある交互二室塚古墳(こうごにしつづかこふん)(右片袖式に左片袖式の石室を連結)にしかありません。二室塚古墳の石室は、当時の政権の中心であった畿内において、独自の複室構造として造られたものであり、畿内の横穴式石室を考える上で大変貴重なものです。また、二室塚古墳は、日本近代考古学の草創期である明治時代に、「日本考古学の父」といわれる英国人ウィリアム・ガウランドが、米国人ロマイン・ヒッチコックとともに、ガラス乾板による写真撮影を行い、「双室ドルメン」として、いち早く海外に紹介した古墳として貴重な学史を有する古墳です。ガウランドは、大阪造幣寮(おおさかぞうへいりょう)(現在の造幣局)の技術指導のため、わが国に招かれたお雇い外国人でした。彼は、日本各地の古墳の調査研究を行い、その業績は古墳の科学的研究の基礎を築いたものであり、「日本考古学の父」といわれています。ヒッチコックもまた、お雇い外国人であり、卓越した写真技術を持ち、日本の古代研究等にも大きな業績を残しています。彼らは、明治20~21年(1887~88年)に高安古墳群を訪れたと考えられており、その写真には、当時の二室塚古墳石室の姿が明瞭に残されています。

 

住所:大阪府八尾市服部川1023(神光寺墓地)
アクセス:近鉄服部川」駅から徒歩約18分

 

 

Double chamber ancient tomb in Yao city, Osaka, Japan.
This ancient tomb ,“Nishitsuzuka-kofun” is located in Hattorigawa area of approximately
300 tombs of Takayasu-kofun in Yao city, Osaka, Japan. It is horizontal stonechamber
structural type, which was constructed in late 6th century.

 

In the latehalf of the fifth century, Kofun mounds in the northern part of Kyushu and the
Kinai region increasingly adopted the horizontal stone chamber structural style.
The construction of this horizontal stone chamber is Migikatasode-style (a stone chamber with passageconnected the right side in the wall of the burial chamber) and opened to the south.
As two burial chambers are connected together inside ancient tomb, it is very rare nationally.

 

(Remark)
Ryosode-shiki & Katasode-shiki
When looking at the rock chamber from above, if the passage is located at the center of the burial chamber, it is called Ryosode-shiki and if the passage is located toward right side or left side, itis called Katasode-shiki.
For this ancienttomb, “Nishitsuzuka-kofun”, William Gowland who is called " the "Father of Japanese Archaeology", did photographing by way of photomask with Romyn Hitchcock (1851-1923cultural anthropologist) and introduced it promptly to foreign countries.

 

(Remark)

「日本考古学の父」といわれる英国人ウィリアム・ガウランド について。
William Gowland (16 December 1842 – 9 June 1922) was an Englishmining engineer most famous forhis archaeological work at Stonehenge and in Japan. He has been called the "Father of JapaneseArchaeology".

 

 

Address : 1023, Hattorigawa, Yao city, Osaka.(in the graveyard of Jinko-ji)
Access : 18-minute walk form the Hattorigawa station of Kintetsu Line.

 

 

 

 

      

      

      

      

      

      

      

      

      

 

 

 

服部川78号墳」国史

 

 

 

服部川7号墳」国史

 

服部川支郡(神光寺周辺の古墳

 

神光寺と付近一帯の横穴式石室の後期古墳の群集地の散策をしました。 服部川の東方山腹にあり、谷一つ隔てて、郡川の法蔵寺に相対する。医王山薬師院神光寺と称し、曹洞宗蔭涼寺末である。享保年間(18世紀初め)に万徹和尚の開基で、薬師如来を本尊とし、本堂前に揚げてある“天玄堂”の扁額は、徳川光圀の帰依した東皇心越の書である。風景よく、参道には桜並木があり、桜の名所として知られ、春の花時には非常に賑わいを見せる。また付近一帯は、横穴式石室の後期古墳の群集地で、至る所に古墳がみられる。アクセス:神光寺までは、「服部川」駅から徒歩約18分(「服部川」駅より東方(高安山山頂)へ坂道を上がる。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

3)郡川北支群

 

 

「開山塚古墳」(郡川1号古墳)

 

 開山塚古墳(かいざんつかこふん)という古墳の名称は、江戸時代に曹洞宗法蔵寺を開いた好山和尚の廟塔である清涼塔が、古墳の背後にあることから、名付けられたものです。石室の全長は、13mを測り、高安古墳群中、最大の両袖式の横穴式石室墳です。また、大森貝塚を発見した米国人の博物学者、エドワード・S・モースが、明治12年(1879年)に精密な図の作成を行うなどの調査を行い、欧米の学界にいち早く紹介した古墳でもあり、考古学の学史上も重要な役割を果たした古墳です。

 

エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse、1838年6月18日 - 1925年12月20日)は、アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくった[1]。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。

 

場所:八尾市郡川6丁目3
アクセス:近鉄信貴山口」駅から徒歩約20分(近鉄信貴山口」駅(西の踏切)から、「法蔵寺」に向かって坂を上がる)。最寄駅:近鉄信貴山口」駅、又は近鉄服部川」駅です。

 

This ancient tomb is called "Kaizanzuka-kofun". The total lenghth of this stone chamber is 13m. It is the largest  a horizontal stone chamber with ryosode-style (a horizontal stone chamber with the passage connected the center of the wall of burial chamber) in Takayasu ancient tomb groupe. Edward Sylvester Morse (natural historian) who found Omori-zuka did precise survey of this ancient tomb and Immediately introduced it to European and American academia. Kaizanzuka-kofun played the most important role in academic history of archeology.
A monument called "Seiryotou" stands back of Kaizanzuka-kofun.

 

 

アメリカの動物学者、エドワード・シルヴェスター・モース について。
Edward Sylvester Morse was born in Portland, Maine as the son of a Congregationalist deacon who held strict Calvinist beliefs. His mother, who did not share her husband's religious beliefs, encouraged her son's interest in the sciences. An unruly student, Morse was expelled from every school he attended in his youth — the Portland village school, the academy at Conway, New Hampshire, in 1851, and Bridgton Academy in 1854 (for carving on desks). He also attended Gould Academy in Bethel, Maine. At Gould Academy, Morse came under the influence of Dr. Nathaniel True who encouraged Morse to pursue his interest in the study of nature.

 

 

 

Address : 3,6-chome, Kourikawa, Yao city.
Access : 20-minute walk form Shigisankuchi station.

 

 

 

 

 

 

       

       

       

       

       

       

 

 

 

4)郡川南支群

近鉄信貴山口駅から高安山駅信貴山線の南側周辺に数多くの古墳が存在します。

(郡川11、16、28号~42号墳など)

 

 

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高安古墳群周辺地区の古墳

 

愛宕塚古墳」

 

愛宕塚古墳(あたごづかこふん)は八尾市神立にあります。大阪府指定遺跡。 円墳、直径25m、高さ6m。6世紀後半。生駒山西麓部で、横穴式石室をもつ最大のホタテ貝式古墳とも言われています。標高70mの見晴らしのいい高台にあります。開口部は南向き。円憤経は25m、墳高は60mで、古墳時代後期(6-7世紀)の築造と考えられています。横穴式石室(右片袖式 全長 16.8m、玄室高4.1m)は府下最大級の規模で、内部は両袖石室になっており、家型石棺片に、二上山の白色凝灰岩と、播磨系の石材の二種類が使われていたことが確認されています。家形石棺片、鉄製品、鉄地金銅張の馬具一式(鉄地金銅張子持剣菱形杏葉・鉄地金銅張垂飾板・銀象嵌龍文鞘金具 )金銅製装飾類、土器、玉類等が出土。捩(ね)じり環頭(かんとう)太刀の一部のほかに、多数の須恵器が出土した。古墳は府指定史跡で、出土品は府指定有形文化財になっています。

 

住所 : 八尾市神立4丁目42-89
アクセス: 近鉄信貴線 服部川駅下車 徒歩20分

 

 

Atagozuka ancient tomb is designated important cultural property by Osaka. 
It is a round burial mound and has dimensions of diameter, 25m and height, 6m. 
The constuction is in latter part of the sixth century. Atagozuka ancient tomb is said to 
be the largest scallop-shaped tomb at the western foot of Mt.Ikoma.

 

Address : 42-89, 4-chome, Kodachi, Yao city
Access : 20-minute walk from Hattorigawa station of Kintetsu Line.

 

 

 

 

 

1)装飾付大刀:愛宕塚古墳は、神立墓地の西側にある直径約22.5mの円墳で、南向きの両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室です。石室の大きさは、全長15.7m、羨道部(せんどうぶ)8.7m、玄室部(げんしつぶ)7.0m、羨道幅2.1m、石室幅は奥壁で3.1m、高さは玄室で4.2mあり、大阪府下最大級です。盗掘を免れた副葬品(ふくそうひん)が多数検出されました。


【大刀について】龍文銀象嵌鞘金具(りゅうもんぎんぞうがんさやかなぐ)付捩(ね)じり環頭大刀(かんとうたち)が見つかりました。龍文銀象嵌の鞘口(りゅうもんぎんぞうがんさやぐち・写真の金具)や鞘尻(さやじり)の出土例は極めて少なく、捩じり環頭大刀の分布の中心は大阪府奈良県を中心とする畿内とその周辺です。その他、武器としては、鉄鏃(てつぞく)、鉄鉾(てつほこ)、石突(いしつき)、玉類、被葬者の服に飾りつけたと考えられる金銅製の帽子形飾金具(ぼうしがたかざりかなぐ)、勾玉形(まがたまがた)飾金具類等が出土しています。


2)鉄地金銅張馬具類:愛宕塚古墳は、直径約22.5mの円墳で、南向きの両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室です。石室の大きさは、全長15.7m、羨道部(せんどうぶ)8.7m、玄室部(げんしつぶ)7.0m、羨道幅2.1m、石室幅は奥壁で3.1m、高さは玄室で4.2mあり、大阪府下最大級です。盗掘を免れた副葬品(ふくそうひん)が多数検出されました。


【馬具について】鉄地金銅張の馬具には、腰佩(ようはい・人の腰に飾るもの)もしくは花弁形(かべんがた)の杏葉(ぎょうよう・馬の飾り)と推定される垂飾板(すいしょくばん)をはじめ、鞍(くら)の磯金具や鏡板(かがみいた)の破片、子持剣菱形(こもちけんびしがた)杏葉(写真の馬具)、辻金具(つじかなぐ)、雲珠(うず)、木芯鉄張壺鐙(もくしんてつばりつぼあぶみ)、革の飾金具、鉸具(かこ)等があります。垂飾板は、その縁取りの文様が波文帯(はもんたい・波状の文様)に点を配するもので、朝鮮半島出土の金銅冠(こんどうかんむり)製品にみられる文様と同じで注目される資料です。


3)土器類:直径約22.5mの円墳で内部構造は南向きの両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)です。石室の大きさは、東壁16.7m、西壁16.3m、羨道部(せんどうぶ)9.5m、玄室部(げんしつぶ)7.0m、羨道幅2.1m、石室幅は奥壁で2.5m、高さは玄室で4.1mあり、大阪府下最大級です。盗掘(とうくつ)を免れた副葬品(ふくそうひん)が多数検出されました。【土器について】愛宕塚古墳で出土した多数の土器は、時期幅がありますが、主に6世紀代の須恵器(すえき)・土師器(はじき)が多数出土しています。須恵器には大型器台をはじめ、壺・はぞう・高杯(たかつき)・台付壺等合わせて百点あまりが検出されています。また、土師器には高杯や須恵器を模した壺等もあります。これらの土器は、愛宕塚古墳の時期を決める上で重要な資料となります。

 

 

 

 

 【八尾市内古墳まとめ】

 

河内ドルメン、抜塚、愛宕塚古墳、二室塚古墳、俊徳丸鏡塚古墳、心合寺山古墳、

その他など9か所です。

 

 

 

 

 

【高安古墳群(たかやすこふんぐん)ウィキペディアWikipedia)】

 

高安古墳群(たかやすこふんぐん) / ウィキペディア(Wikipedia)

    高安古墳群(たかやすこふんぐん) / ウィキペディアWikipedia

 

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【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区

【新家天満宮】(しんけてんまんぐう)大阪市平野区 案内板によると、由緒にいては、「御祭神;菅原道真公、天照大神。当社の創建年月は不詳であるが、所伝によれば、この鎮座地は、御祭神の菅原道真公が左大臣藤原時平の陰謀、讒言によって昌泰四年(901)、16歳の醍醐天皇により右大臣、従二位の官位から大宰権帥に左遷され(道真公没後20年目の延喜23年(923)、同じ醍醐天皇により、右大臣に復され背負う正二位を贈られた。)筑前(福岡県北西部)の太宰府に行かれる折、菅原家歴代の菩提寺道明寺の住職である叔母の覚寿尼に別れの挨拶に立ち寄られた帰りに平野川を船で下り休憩された所で後年京都の北野天満宮の御分霊を勧請した場所とのことで、その社は「川べりの天神」と呼ばれて崇敬されていた。時が移り、明治5年(1872)「村社」に列せられ、明治39年(1906)公布の政令「神社合祀令」に従い、同41年、加美村大字鞍作の村社菅原神社に合祀された。社殿はその後ほどなく自然倒壊したが、大木や石の大鳥居、灯篭等の残る境内地は保存されていた。戦後の昭和24年(1949)四月に、新しく造営された現社殿へ菅原神社から御祭神にお遷りいただき、当時の所在地名、加美村新家町に因んで宗教法人「新家天満宮」という社名で再建された。

住所:大阪府大阪市平野区加美南5-3-25

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 【正圓寺】の境内には鎮守の神を祭る「奥之院」と呼ばれる場所があります。②

 【正圓寺】の境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王弁才天祠などが祭られています。寄松塚(別称 八本松竜王)については、寺伝によると、「聖武天皇が鎮護国家を祈念してこの地に霊寳を埋め、その記念として松樹をお手植えされた処であって、昭和初年までは天をおおう大老松で一大偉観を呈していたと云ふ。」この松が一幹八枝の大木であったのでいつの頃からか八本松と呼ばれていたとの事です。鎮守堂(別称 白玉さん)については、御本尊は仏教系の稲荷信仰で霊験あらたかな枳尼天(だぎにてん)をおまつりしています。「辨財天祠」は、厳島弁天(日本三大弁天の一)と淡路島巡遷弁天を合祀しています。 所在地:大阪府大阪市阿倍野区松虫通三丁目2番32号 アクセス; 阪堺電気軌道阪堺線天下茶屋停留場徒歩3分、聖天坂停留場徒歩7分 南海電気鉄道本線・高野線大阪市営地下鉄堺筋線 天下茶屋駅徒歩10分 #じゃらん #じゃらんネット #じゃらん 大阪 #観光 #観光スポット #神社 #神社 英語 #神社仏閣 #絶景 #Sakamoto119

 

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【正圓寺】(しょうえんじ)は、大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。①

【正圓寺】(しょうえんじ)は、大阪府大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。天慶2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若山阿部寺の一坊でしたが、元禄時代(1688年-1703年)に義道見明和尚が寺を移転し、海照山正圓寺と改めました。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大です。 また、2000年頃までは、大相撲春場所開催のさい相撲部屋の宿舎となっていました。 境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王弁才天祠などが祭られています。また、「兼好法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が境内東側に建っています。吉田兼好南北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われています。また、この山は聖天山古墳と呼ばれる古墳であることが分かっています。摂津国八十八箇所第32番。おおさか十三仏霊場2番。 所在地:大阪府大阪市阿倍野区松虫通三丁目2番32号 アクセス; 阪堺電気軌道阪堺線天下茶屋停留場徒歩3分、聖天坂停留場徒歩7分 南海電気鉄道本線・高野線大阪市営地下鉄堺筋線 天下茶屋駅徒歩10分 #じゃらん #じゃらんネット #じゃらん 大阪 #観光 #観光スポット #神社 #神社 英語 #神社仏閣 #絶景 #Sakamoto119

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保利神社】(ほりじんじゃ)住吉区長居東

【保利神社】(ほりじんじゃ)住吉区長居東 大阪市住吉区長居東に鎮座する【保利神社】(ほりじんじゃ)です。別称は「長居の宮」と呼ばれています。この神社の位置は、大阪市長居公園の市立博物館の真南にあたり、道が曲がった路地に囲まれた場所にあります。由緒書きによると、「神社の創建の時代は不詳である。里伝に依れば足利時代に周防守某なる者が本地に城を築いた時、城の守護神として勧請されたといわれている。従前、速素盞嗚尊はやすさのをのみことを祀り社名を牛頭天王(ごずてんのう)社と称していたが、明治五年村社に列し素盞嗚尊神社(すさのをのみことじんじゃ)と改称された。明治四十年に大字前堀村の吉山神社(よしやまじんじゃ)、大巳貴命を合祀して祇園神社(ぎおんじんじゃ)と改め、明治四十四年さらに邑名に依り、万葉仮名で書記した保利神社(ほりじんじゃ)に改められ現在に至っている。」 境内には 村のあちこちにあった力石が集められて置かれています。また、末社の保住稲荷社は、歯痛平癒の霊験社だそうです。

住所:大阪府大阪市住吉区長居東1丁目14-17

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【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市

【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市 御祭神:天照皇大神豊受大神。この神社は、元三十八社大明神と称し、当郷一円の郷社であった。現在は西堤の氏神産土神鎮守神として崇敬されています。「天照皇大神」は、明治4年伊勢神宮御分霊を祀る。三貴神の一社。国民の総氏神。「豊受大神(とようけのおおみかみ)」は、生産の神。衣食住の守護神です。また境内にある「水神社」は「鱗殿」とも呼ばれて、鳥居をくぐって直ぐの右側(北側)にあり、水の神「内介池伝説」に関わりのあるお社です。水神さんの祠の周囲の堀には昔は亀が住んでいたそうです。 境内神社の御祭神について; ・天満宮・・・・・・・・菅原道真公を祀る。 ・稲荷社・・・・・・・・稲荷五神を祀る。約400年前伏見稲荷より勧請。 ・水神社・・・・・・・・鱗殿ともいう。 ・八大竜王・・・・・・雨乞いの神。 ・楠大明神・・・・・・東大阪市の保存樹指定。樹齢推定500年のご神木。

住所:大阪府東大阪市西堤1-11-13

アクセス:大阪市営地下鉄・中央線、高井田駅(JRおおさか東線高井田中央駅)、東南東約650m。 #じゃらん #じゃらんネット #じゃらん 大阪 #観光 #観光スポット #神社 #神社 英語 #神社仏閣 #絶景 #Sakamoto119

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