【川俣神社】(かわまたじんじゃ)東大阪市

【川俣神社】(かわまたじんじゃ)は、奈良時代から平安時代に官社となった神社の一覧表(延喜式)に記載され、その頃から祈年祭には、鍬・ゆぎ(矢を容れて背に負う道具)が備えられたと書かれています。川俣の地名は古くから知られています。 「日本書紀」には、仁徳天皇が詠んだと言われている歌があり、その中に「…川俣江の蔆殻(ひしがら)の…」は、水辺に生い茂る菱を詠っており、この川俣は、当地であると言われています。 奈良時代、僧行基が、川俣の一女性を救う話や、東大寺の大仏造営時、河俣連人麿呂という豪族が、銭一千貫を寄進したと書かれています。また奈良時代の他の書物にも、川俣・河俣・川派(かわまた)名が見受けられ、河俣氏は、古代からかなり勢力を持つ豪族であり、氏神として川俣神社を祀ったと言われています。 住所:大阪府東大阪市川俣本町10-38

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