読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大聖勝軍寺より国道25号線を100m程東に進んだところに【物部守屋の墓】があります。

大聖勝軍寺より国道25号線を100m程東に進んだところに【物部守屋の墓】があります。 物部氏は有力な軍事氏族です。物部氏は日本に伝来した仏教に対しては強硬な排仏派で、崇仏派の蘇我氏と対立しました。但し、物部氏の本拠の渋川に寺の跡が残り、物部氏そのものは廃仏派ではなかったという説もあります。物部守屋薨後1350年には、右奥にある「何ぞ国神に背きて、他神を敬せんや」の碑が建てられました。『日本書紀』に、守屋が仏教導入に反対して言ったとされる言葉です。 左奥の物部守屋公顕彰碑は、薨後1380年の記念事業で建てられたものです。 【物部守屋公顕彰碑】について 「物部守屋公は建国の功臣饒速日命の裔にして代々宮廷を守護し武を司る家門に生れ給ひ往古の八尾を中心とする河内一帯の地は其の所領たりき。 我国に始めて仏教渡来するや国風たる神ながらの道統を護持せんと父公尾輿の固き志を継ぎ用明天皇二年何ぞ国神に背き他神を敬せんやと断じ蘇我馬子と激しく対立。公は河内に帰り一族を挙り此の地に干戈を交えて幾度か勇戦奮闘せられしも時に利あらず同年七月七日遂に果敢くも陣歿せられぬ。 嗚呼然れとも公の純乎たる憂国の精神は永く日本人の道を照さずてあるべき春風秋雨幾星霜 当墓所は今日八尾市の史蹟として最古の墳墓たるのみかは遠く郷土の領主としてとして其の遺徳を仰ぎつつ大正九年より吾等先輩祀職年毎に墓前を修め来りて愈々懇なり。今年一千三百八十年祭を迎ふるに際り茲に年来の司祭を記念し碑を建て聊か黄泉の英雄を慰め奉ると云爾。」

 

www.jalan.net