読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

③「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」/ 八尾市

muragon

大阪府八尾市大字教興寺に【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)があります。これらの神社へ向かう参道の途中に「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」と書かれた石柱があります。この下に「岩谷弘法大師」に記された標石がたっています。
この石柱の間の急な坂を登っていくと、両側にたくさんのお地蔵様が並んでいます。台石には番号では無く奉納建立者のお名前が刻まれています。さらに登っていくと一軒の廃墟のような民家があります。その民家の横の細い道を通ってすぐのところが「岩谷奥之院」になります。案内板はありません。「岩谷奥之院」にはかなりたくさんのお地蔵様がいます。小さな社が2つあり「岩谷辨財天大神」と「白富大神」が祀られています。また、鳥居が2つあり、1つは「大光大明神」が祀られています。その隣に白い鳥居があり「白長大神」が祀られています。また、この場所の上の位置に石の灯篭が2体立っています。その先に洞窟のような古墳があります。その内部を利用して中に白いお地蔵様が祀られています。「岩谷弘法大師」と思われます。

 

所在地 :大阪府八尾市大字教興寺550(岩戸神社の参道途中の左側に2本石柱が目印。)
アクセス:近鉄信貴線 信貴山口駅から南へ徒歩約20分。

 

 

(撮影:2017/1/27)

木製の社を見つけました。何も祀られてないようです。

 

石の灯篭が2体立っています。その先に洞窟のような古墳があります。その内部を利用して中に白いお地蔵様が祀られています。「岩谷弘法大使」と思われます。

 

全部読めませんが、左端に「岩谷弘法大使」と書かれているように思えます。

 

体を屈めないと中へ入れません。

 

昼間でも中は真っ暗ですが、白い弘法大師尊だけが光って見えます。

 

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ⑥

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ⑦

 

 

 

「白光大神」

 

 

 

 

 

②「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」/ 八尾市

muragon

大阪府八尾市大字教興寺に【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)があります。これらの神社へ向かう参道の途中に「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」と書かれた石柱があります。この下に「岩谷弘法大師」に記された標石がたっています。
この石柱の間の急な坂を登っていくと、両側にたくさんのお地蔵様が並んでいます。台石には番号では無く奉納建立者のお名前が刻まれています。さらに登っていくと一軒の廃墟のような民家があります。その民家の横の細い道を通ってすぐのところが「岩谷奥之院」になります。案内板はありません。「岩谷奥之院」にはかなりたくさんのお地蔵様がいます。小さな社が2つあり「岩谷辨財天大神」と「白富大神」が祀られています。また、鳥居が2つあり、1つは「大光大明神」が祀られています。その隣に白い鳥居があり「白長大神」が祀られています。また、この場所の上の位置に石の灯篭が2体立っています。その先に洞窟のような古墳があります。その内部を利用して中に白いお地蔵様が祀られています。「岩谷弘法大師」と思われます。

 

所在地 :大阪府八尾市大字教興寺550(岩戸神社の参道途中の左側に2本石柱が目印。)
アクセス:近鉄信貴線 信貴山口駅から南へ徒歩約20分。

 

 

(撮影:2017/1/27)

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ④

この不動明王は、本物の鎖を持っています。

八幡大神・天神大神・白富大神」と岩に刻まれています。上の社は「白富大神」です。

 

高い岩のところに社があり、「白富大神」と書かれています。

 

 

「八大龍王」

 

「白龍大師」

 

岩のところの社がある「白富大神」です。

 

「お光大明神」

 

岩の奥を覗くと、壊れた仏像が倒れています。

 

「白長大神」

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ⑤

 

岩の前に社があり「岩谷辨財天大神」と書かれています。

 

 

①「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市

muragon

大阪府八尾市大字教興寺に【天照大神高座神社】(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ) と 【岩戸神社】(いわとじんじゃ)があります。これらの神社へ向かう参道の途中に「高野山高安・新四国八十八ヶ所」「本尊薬師瑠璃光如来」と書かれた石柱があります。この下に「岩谷弘法大使」に記された標石がたっています。
この石柱の間の急な坂を登っていくと、両側にたくさんのお地蔵様が並んでいます。台石には番号では無く奉納建立者のお名前が刻まれています。さらに登っていくと一軒の廃墟のような民家があります。その民家の横の細い道を通ってすぐのところが「岩谷奥之院」になります。案内板はありません。「岩谷奥之院」にはかなりたくさんのお地蔵様がいます。小さな社が2つあり「岩谷辨財天大神」と「白富大神」が祀られています。また、鳥居が2つあり、1つは「大光大明神」が祀られています。その隣に白い鳥居があり「白長大神」が祀られています。また、この場所の上の位置に石の灯篭が2体立っています。その先に洞窟のような古墳があります。その内部を利用して中に白いお地蔵様が祀られています。「岩谷弘法大使」と思われます。

 

所在地 :大阪府八尾市大字教興寺550(岩戸神社の参道途中の左側に2本石柱が目印。)
アクセス:近鉄信貴線 信貴山口駅から南へ徒歩約20分。

 

 

(撮影:2017/1/27)

「岩谷弘法大使像」
左の急な坂を登って行きます。

 

 

左の石柱には「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」となっています。右の石柱には、「高野山高安・新四国八十八ヶ所」となっています。

 

 

急な坂を登って、すぐ広い場所がありますが、ここが「岩谷奥之院」ではありません。前方、右端の細い道を通ります。

 

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ①

 

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市 ②

 

左側に廃墟になっていると思われる民家が1軒あります。この横の細い道をまっすく進みます。

 

通ってきた道を振り返った様子。右が民家。

 

この道の突き当りが、「岩谷奥之院」です。案内板などはありません。

 

 


「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大使尊」/ 八尾市  ③

禊(みそぎ)場の打たせ滝だと思われます。水は流れていませんが。。

 

禊(みそぎ)場の入口の右側の石に「高倉大神」と刻まれてあります。

 

禊(みそぎ)場の入口の左側の石に「日の大神」と刻まれてあります。

 

禊(みそぎ)場の中の石に「熊一大神」と刻まれてあります。

 

不動明王の石仏があります。

 

一般的な不動明王とは違うような気がします。

 

禊(みそぎ)場の岩の間に何か祀られているようです。

 

「古𠮷龍王」

 

「白玉大明神」

 

「古𠮷龍王」

 

動画:「岩谷奥之院・本尊薬師瑠璃光如来」「岩谷弘法大師尊」/ 八尾市

muragon

kazu1000.muragon.com

書籍:「さっと出てくる」日常英語6000

この本も図書館で借りてきました。日常で使う表現が6000も載っているとさすがに使える表現や言いたい表現がありますが、英語から日本語への索引がついていないのが、とても残念です。載っている例文は、本のタイトルが日常とあるように、口語レベルの感じです。また、6000全部の例文をすべてチェックしたわけではありませんが、著者がネイテイブの割には、日本人が考えた英文では?と思うような文も少しありました。また、全部とはいいませんが、日本文⇒英文のあとに、解説があればいいと思います。どういう場面でこの表現を使うのか、使うときの注意、丁寧さのレベル、まったくの口語なのか、フォーマルの表現に近いのかなど。
この本用の英文音声CDがあればいいと思います。

 

 

Ancient tombs surrounding Takayasu-kofun group.

travel 古墳 じゃらん旅行記

Mt.Takayasu (488 meters high) is located in the east of Yao city.

There are many ancient tombs including "Nishinoyama-kofun", "Hanaoka-kofun", "Mukaiyama-kofun" at this mountain's high ground. And there are "Shionjiyama-kofun" and "Kagamizuka-kofun" in the west area. Famous Takayasu-kofun group is located on the west slope of Mt.Takayasu. In Koudachi area of Yao city in Osaka, Atagozuka-kofun near Takayasu-kofun group exists at the high ground of Mt.Takayasu. 

 

 

Atagozuka-kofun  [No. 23 tomb in Koudachi area]

 

Atagozuka ancient tomb is an important cultural property designated by Osaka. It is also called the largest scallop-shaped ancient tomb.This ancient tomb is a round burial mound and has dimensions of 22.5 m diameter and of 9 m high. It was constructed in the late sixth century. 

 

 

Reuse of Atagozuka-kofun

 

Atagozuka-kofun existed as a grave in the late 6th century including additional burials. After that it also existed as sacred place in about 200 years. However, that 2 pieces of Sueki (unglazed ware) of early Heian period were excavated and black potteries, unglazed potteries,haji plates and Hagama (kama with wing) of middle, later Heian and Kamakura period were excavated in Atagozuka-kofun shows this ancient tomb had been reused since Heian period. Although the reason why Atagozuka-kofun was reused is not unknown,  that excavated fife-ring pagoda and human bones of Muromachi period show this ancient tomb was used as additional burials or graves in the medieval period.

 

 

 

 


【愛宕塚古墳】 (Atagozuka-kofun) ① / 高安千塚古墳群

 


【愛宕塚古墳】 (Atagozuka-kofun) ② / 高安千塚古墳群

 


【愛宕塚古墳】 (Atagozuka-kofun) ③ / 高安千塚古墳群

 


【愛宕塚古墳】 (Atagozuka-kofun) ④ / 高安千塚古墳群 *古墳上部から八尾市方面の眺め。

 

 

Nishinoyama-kofun

 

It is large keyhole-shaped tomb (an ancient Japanese tomb of circular shape with a rectangular frontage). This kofun's name "Nishinoyama" comes from name of the hill called "Nishinoyama" located at the east foot of mountain.

Stone coffin was excavated  in the rounded rear of Nishinoyama-kofun while the land was cultivated in 1881. In the stone coffin human bones, magatama (comma-shaped beads),  swords were found.  At present, the front square of Nishinoyama-kofun turns a garden plant field after cultivated.  Across the south hill, Hanaokayama-kofun existed.

 

Address : 7-chome, Gakuonji,Yao -city, Osaka.

  (near Osaka University of Economics and Law)

Access : 30-minute walk from Hattorigawa station (Kintetsu Line)

 

 

 

 

 

 

[ Kumano-jinja shrine]

This shrine is located in front of Nishinoyama-kofun.

 

Address : 7-chome, Gakuonji,Yao -city, Osaka.

  (near Osaka University of Economics and Law)

Access : 30-minute walk from Hattorigawa station (Kintetsu Line)

 

 

 

 

 

 

 

 Hanaokayama-kofun

 

In Osaka Natsu no Jin (Summer Siege of Osaka) , the second shogun, Hidetada TOKUGAWA made base position for battle in this land of Hanaokayama-kofun. In Edo era, a temple called "Fukushouin" existed at the front square of this kofun.

At present Osaka University of Economics and Law exists on the place of Hanaoka-kofun. A full view of Osaka Bay and the Osaka Plain can be seen from Kumano-jinja near the University.

 

 

 

 

 

 

 

Mukaiyama-kofun

 

It is large keyhole-shaped tomb (an ancient Japanese tomb of circular shape with a rectangular frontage) constructed in late kofun period using independent hills. The mound was cultivated from early and soils were collected from the back circular part. The ruins of a kiln of late Heian period was found from the south back circular part and it still remains partly.  Kawara (rooting tiles) made here brought to many places of Kinki region including Byodo-in temple in Uji city and Godai-ji temple in Kyoto city to be used.

Kinki region : incl.Osaka, Kyoto,Hyogo,Nara,Wakayama,Mie and Shiga prefectures.

 

Address : 8-chome, Ootake, Yao city, Osaka 

Access : 25-minute walk from Hattorigawa station

 

 

 

 

Shionjiyama-kofun

 

It is a representative large keyhole-shaped tomb (an ancient Japanese tomb of circular shape with a rectangular frontage) in Nakagawachi area, which is located at Otake of Yao city in Osaka. The total length from south to north is 160. Diameter of back circular part is about 92 m and height is about 13 m. The width of front circular part is about 90 m and height is 12 m. In recent yeas Shionjiyama-kofun was developed as a historic park. Burial accessories excavated in survey are on display in Shionjiyama-kofun study center run by Yao city, Osaka. The survey shows Shionjiyama-kofun was constructed in early 5th century of middle kofun period and semms to be a grave for the powerful clan having a control of this local area at that time.

 

 

Address : 5-chome, Ootake, Yao city, Osaka

Access : 5-minute walk from Ootake teiryujo by use of a bus bounds for Hyotanyama station from Yamamoto station (Kintesu Line).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Kagamizuka-kofun

 

It is 17m high and called "Matsuyama" or "Fukutsuyama" informally. It is moat type keyhole-shaped tomb. Clay and soils were collected some years ago and  a small shrine exists at the trace. Vallum remains on the top of mound. Two traces of burial mounds were found and also debris of box-shaped funerary urn made of stone were excavated from this kofun. That haniwa in the shape of a broad-rimmed vase, cylindrical haniwa and lid-shaped Haniwa were excavated from the surrounding Kagamizuka-kofun shows thst it was constructed in late 5th century.

 

Address : 182, 5-chome, Ootake, Yao city, Osaka

Access :  25-minute walk from Hattorigawa station (Kintetsu Line)

 

 

 

 

 

 

 

 

高安古墳群周辺の古墳について

古墳

高安古墳群周辺の古墳に「愛宕塚古墳(あたごづかこふん)」があります。愛宕塚古墳は大阪府八尾市神立にあります。八尾市の東には高安山(488m)を含む生駒山地が南北に広がっています(金剛生駒国定公園)。高安山の向こうは奈良県になります。高安山一帯の山麓は旧高安郡に属し、愛宕塚古墳がある地は、扇状台地の高燥地です。愛宕塚古墳はこの扇状台地上の十三峠道の入口にあります。この台地上には前期、後期の単独の古墳が散在しています。北から前期の「西ノ山古墳」、「花岡山古墳」、「向山古墳」、後期の愛宕塚古墳が一列にならび、中期の「心合寺古墳」が向山古墳の西方にあります。さらにその西方、高野街道に「鏡塚古墳」があります。高野街道の郡川には中期~後期にかかる東塚と西塚がある。高野山の西斜面には、有名な高安古墳群が分布しています。

 

愛宕塚古墳(あたごづかこふん)」 神立地区23号墳

 

外形の直径は22.5m、高さ9mですが、羨道入口部の両側に4m、長さ3.6m、高さ2mの土手状の突部みられるので、単なる円墳というよりは、ホタテ貝形です。石室は西側壁で15.7m、玄室長7m、玄室幅、玄門基底3.1m、奥壁基底2.5m、玄室高3.9m~4.2m、玄門西袖幅は0.75m、東側0.4mです。羨道西側壁8.7m、幅は羨門付近で2.15m、高さは玄門付近で2.2mです。

 

愛宕塚古墳の再利用

この愛宕塚古墳は追葬を含めて6世紀末には墓としての機能が安定し、その後約200年程、安らかな霊地となっていました。ところが出土品のなかに平安時代初期の須恵器2点が認められる他、平安中・後期、鎌倉時代の黒色土器、瓦器、土師皿、羽釜などが検出されているので、平安時代になってから、愛宕塚古墳は再び利用されています。その理由は明らかにはなっていませんが、追善供養的なことが始められたのか、または、中世墓として利用されたのかもしれません。室町時代五輪塔や人骨が出土していますのでこの時期は墓所として利用されてたと考えれます。その後は、近世には古墳名となった愛宕信仰として利用されたと考えられます。

 

 




 

「西ノ山古墳(にしのやまこふん)」

 

古墳時代前期の南面する前方後円墳です。もと楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に古墳のある丘が「西ノ山」と呼ばれていたところから、そのまま古墳名として残っています。明治十四年(一八八一)開墾中に後円部から石棺が発見され、その中から人骨、勾玉、刀剣などが出土しました。現在、前方部は耕されて植木畑となっています。南の谷をへだてて、同じく前期の前方後円墳の「花岡山古墳」がありました。

 

花岡山古墳について:元和元年(1615)5月の大坂夏の陣には、徳川秀忠がここに陣をとって東軍を指揮しました。江戸時代には前方部の所に福生院という寺院がありました。現在は大阪経済法科大学となっています。現場の隣接する「熊野神社」境内からは、西方一面に大阪平野が望めます。

 

所在地:八尾市楽音寺7丁目(大阪経済法科大学付近)

アクセス:近鉄服部川駅から徒歩10分。

 

 


 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214339j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214356j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214408j:plain

 

熊野神社(くまのじんじゃ)」について;

  熊野神社分神鎮座記念碑があります。これによると、
「昔、楽音寺熊野神社は、西の山の東金比羅屋敷にありましたが、明治初期に、貴島康彦先祖の土地である当地に移されたが、その後倒壊し、御身(神)体は、神立にある郷社玉祖神社に預けられました。昭和三十一年七月十五日、当神社再建にともない、預けた御身体を持ち帰ったが、御神体名については宮司並びに村民に尋ねたが誰一人として知る人がおらず、故に村の三役によって熊野本宮大社へ参り、宮司様とお会いして由来を聞いた。それによると「京都より摂津和泉を過ぎ当国に入り田辺より近露を経て当地に至る沿道に諸王子社あり、古くは、衰微(すいび)して僅かに地名のみ そのあとを止めている状況であります。全国に分布する熊野神社の分社は5千社あって大阪府下には六十余社が分神としてまつられている」とのことであり、当神社もその一つであることが判明したので、昭和五十七年七月十五日、新たに分神として迎え、之を記念し建立したものである。」となっています。

衰微:物事の勢いが衰えて弱くなるさまを意味する語。

 

 

所在地:八尾市楽音寺7丁目(大阪経済法科大学付近)

アクセス:近鉄服部川駅から約徒歩30分。近鉄バス「楽音寺」から徒歩約10分

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214418j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214507j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202214516j:plain

 

 

「花岡山古墳(はなおかやまこふん)」

 

西の山古墳から、南の谷をへだてて、古墳時代前期に造られた前方後円墳の「花岡山古墳」があります。大阪経済法科大学内にありますので許可なく入ることはできません。
元和元年(1615)5月の大坂夏の陣には、徳川秀忠がここに陣をとって東軍を指揮しました。
昭和30年代に消滅してしまい、現在は大阪経済法科大学正門傍に碑が立てられています。

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202222110j:plain

 

「向山古墳(むかいやまこふん)」

 

古墳時代の前期に属し、独立丘陵を利用して設けられた西向きの前方後円墳です。墳丘は早くから開墾されて植木畑となり、後円部は一部が採土されています。後円部南側の池畔に平安時代末期の窯跡があり、いまも窯の一部が遺っています。ここで焼かれた瓦は宇治の平等院、京都の醍醐寺をはじめ近畿各地に運ばれています。

所在地:八尾市大竹8丁目

近鉄服部川」駅から徒歩25分。

 

 

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202224304j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202224314j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202224325j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202224332j:plain

 

 

「心合寺古墳(しおんじやまこふん)」

 

全長約160メートルの規模を有する。後円部の直径が約92メートル・高さ約13メートル、前方部の幅が約90メートル・高さ約12メートルの前方後円墳である。前方部が南方、後円部が北方にあり、墳丘は三段築成となっている。 また、生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれて、周濠は南側と北側の2か所で堤を造って区切られているため、その東西で水位の異なる珍しいつくりとなっている。
近年、史跡公園として整備され、墳丘の平坦部には円筒埴輪(レプリカ)が並べて立てられている。復元整備にあたって、後円部中腹にある2本のキリの大木を保存する案と伐採する案があったが、結局残すことになった。 これまでの発掘調査で出土した副葬品等は、古墳の脇にある「八尾市立しおんじやま古墳学習館」で展示されている。

古墳時代の中期、5世紀初め頃に作られたといわれる。当時このあたりを支配していた豪族の墓と考えられている。

 

 所在地:大阪府八尾市大竹5丁目

アクセス:近鉄大阪線河内山本駅から近鉄バス瓢箪山駅」行きで大竹停留所下車、

     徒歩約5分

 


 


 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202230659j:plain

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202230739j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202230814j:plain

 

 

「鏡塚古墳(かがみづかこふん)」

 

標高一七メートル、俗に松山とか腹痛山といわれています。墳丘の上部には粘土郭が残り、また火葬跡が二ヵ所発見され、石櫃の蓋の破片も出土しています。古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳で、数年前に採土され、その跡に小神祠をまつります。入口のところに宝山神社の碑があります。昭和三十四年四月大阪府から史跡として指定されました。

墳丘の上部には粘土槨が残り、また火葬跡が2カ所発見され、石櫃の蓋の破片が出土しています。これもこの古墳の跡に、後にここで火葬が行われて、相ついで葬られたものです。周辺から出土した円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋埴輪から5世紀末頃の古墳と考えられます。

 

所在地 :大阪府八尾市大竹5丁目182

アクセス:近鉄服部川」駅から徒歩約26分/近鉄バス「楽音寺」から徒歩約3分

 


 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202235115j:plain

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202235253j:plain

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202235330j:plain

 

f:id:kazuyoshi-sakamoto2000:20161202235405j:plain